読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

タートルネッカー純

 俺、タートルネッカー純。趣味:タートルネック。特技:タートルネック。純というのは俺の本名であり、タートルネッカーというのはタートルネックをこよなく愛する者の総称だ。すこしシュワルツネッガーに語感が似ている。
 確かに俺はタートルネッカーだが、タートルネッカーではなかったときもかつてはあった。その時はVネッカーだったと思う。あるいはモックネッカーだったかもしれない。いずれにせよ些細な問題だ。なぜなら俺は今タートルネッカーであるからだ。アーノルド・シュワルツネッガーもターミネーターのビデオの中ではターミネーターでありカリフォルニア州知事ではなかった。俺もまたタートルネッカーでしかないのである。でも時折クルーネッカーではある。

 

 敢えて言及するまでもないことかもしれないが、タートルというのは亀である。タートルネックというのはつまり亀の首。すなわち俺がタートルネックを着ているとき、俺はカメなのだ。俺は黒潮にのって亜熱帯循環する。あるときは羽翼を広げ蒼穹を羽ばたく白鳥のような優雅さで、またあるときは山野を駆る虎豹の如き力強さを以って、茫漠たる大海を泳ぐのである。
 そしてカメは尊い。だいたい何処に行ってもウミガメは保護の対象だ。IUCNのレッドリストにはほぼ全種のウミガメが絶滅危惧種として登録されている。当然といえばそうだが、ワシントン条約によって取引にも規制がかかる。日本においてもその条約を契機に制定された『絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律』において『国際希少野生動植物種』として法的に保護されている。そのため海辺で見かけても「いい鼈甲になりそう」とか「これは亀卜占い再興のチャンス」などと思ってはならない。カメは保護しても、条約を反故にするのは許されない。みんな心に刻んでおいてくれ。
 そうであるならばカメであるところの俺も即ち尊い。まったくやんごとないことこの上ない。もっとちやほやされて然るべきなのである。うさぎと競走すれば俺が勝つ。クソガキに海辺で虐められているところを助けてくれさえすれば俺はお前を背中に担いでめくるめく酒池肉林の桃源郷へとご招待し、瞬く間にクソジジイへと凋落させるであろう。
 
「で、君はあそこでなにをしてたの?」
幾許か険のある声で彼は俺に尋ねた。
「はい。全世界へと生命の神秘を届けていました」
「神秘ねえ……」
俺の眼前の人物はただ神秘という表現だけでウミガメやひいてはこの偉大なる大自然の芸術的な営みを理解できるとは到底思えなかった。人智の及ばない雄大さとか浮世の細事に動じない悠揚さだとかに対する憧憬のようなものが、その炯眼の奥からは一切見出だせない。きっと母堂の腹中に置いてきたに違いない。あるいはターミネーターに対する憧れはあるかもしれない。眉間の皺の深さとため息の数こそが人生の幸福指数だと思っているのではなかろうか。
「人は生まれ、そして死ぬ。わたしたち生命というのは0が1になり、やがてまた0へと収斂する循環のなかで歓喜したり苦悩したりします。生を戴く我々はこの永劫とも呼ぶべき自然の理不尽さのなかで刹那輝く一点なのです。わたしはそのいのちの閃きを感じてほしかったのです」
「うーん、いや説明しろってことじゃなくてさあ」
「はい」
俺は呪った。彼をではない。この閃光の如き生命の瞬きを感じ得ず育った彼の生い立ちと、芸術的経験を語るには余りに粗末なこの言語という媒体をだ。
「お酒飲んでたわけではないんだよねえ」
「ええもちろん」
最早失望したと言っても良い。端から期待などしてはいなかったが、それでも俺は確かに望みを失ったのだ。彼はいうなればゾンビだ。我々と共に生き、同じ生命という枠組みには嵌っているがその実、生命というこの美しきものの美しさを一片たりとも感じることがないのだ。理解の及ばぬもの即ちアルコールによるものなどという短絡的な帰結に至る。俗物というにもあまりに無粋な生き方をしていると言わざるをえない。
「うーん……」
「……」
 
 繰り返すが、俺はカメだ。少なくともあのときはカメであった。カメは兎との徒競走で勝利する。あるいは海中のエルドラドへと誘う。同様に、海岸へ上陸し、砂浜を這いずり、そして産卵する姿は老若男女が遍く生命の神秘を感じなくてはならない。
 
「酔って騒いでるだけなら不起訴処分が多いんだけどねえ……」
飽くまで飲んでないってのがネックなんだよねえ、とため息混じりに青服の彼は独り言ちた。
 
「すいません、飲んでました」
 
 
 
続かない